東京高等裁判所 昭和54年(う)980号 判決 1982年4月28日
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
本件各控訴の趣意は、弁護人鳥越溥、同佐藤公輝が連名で提出した控訴趣意書及び被告人が提出した控訴趣意書並びに東京高等検察庁検察官検事岡田照彦が提出した東京地方検察庁検察官大堀誠一作成名義の控訴趣意書に、これらに対する各答弁は、東京高等検察庁検察官岡田照彦が提出した同検察庁検察官黒瀬忠義作成名義の答弁書並びに弁護人鳥越溥、同佐藤公輝が連名で提出した答弁書及び被告人が提出した各答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
第一検察官の控訴趣意中、事実誤認の主張について
一 強盗の犯意の形成時期について
所論は、要するに、原判決は、被告人について、A、B子に対する殺害行為以前に、強盗の故意があったと断定することはできないとして、Aに対する強盗殺人罪、B子に対する同未遂罪の成立を認定しなかったが、遅くとも被告人がA方に侵入し、くり小刀を腰にかまえた時点で金員強奪の犯意があったことは明らかであり、原判決は被告人の強盗犯意の発生時期について事実誤認を犯し、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠を検討すると、原判決がその(争点に対する判断)一において、各事実を挙げて、「これらの事実からすると、なお疑いは残るのであるが、犯行に至る経緯に記載した程度の話し合いをした事実は認められるけれども、それ以上に、両名に対する殺害行為以前に、暴行、脅迫を加えて金を取るという強盗の故意があったとか、その共謀がなされていたとかと断定するには、いささかちゅうちょせざるをえないものがあるように思われる。」として、被告人について、Aに対する強盗殺人罪、B子に対する同未遂罪が成立しないとした判断は、これを正当として是認することができる。すなわち、原判示のような経緯から、被告人は、Aの妻B子が自分に好意をもっていながら、いざとなると交際を拒み、警察に通報するなど卑きょうな態度をとったと考えて、同女の態度に憤慨したことを思い起して興奮し、右Cと共謀のうえ、B子に話をつける目的でA方に侵入したものと認められるところ、被告人の右の「B子に話をつける」目的とは、強引にA方に押し入り、B子を難詰・追及して、強談判に及ぶ意図であったことは認められるにしても、それが同女から金品を強取する意思をも含むものであったとまでは断定することができない。
以下、所論にかんがみ順次検討し、次のとおり判断する。
1 被告人の犯行当時の経済状態について
所論は、原判決は、「被告人は、当時経済的窮迫状態にあったが、本件犯行前日の一月三日夜、右Cと共に家を出るときに現金二万円を持って出た程で、被告人には、すぐに金を工面しなければならない程の切迫した事情はなかった。」と判示し、そのことを殺害行為以前に強盗の犯意があったと認定するについての疑問の一つとして挙げているが、原判決の右判断は、被告人が経済的に困窮しながら遊興飲食にふけって多額の金員を浪費し、そのため月賦詐欺同然の行為まで累行していた事実を看過し、かつ被告人の犯罪者的性格に対する洞察を欠いたため、事実を誤認したものである、と主張する。
確かに、関係証拠によると、原判決も摘示するように、被告人には蓄えがほとんどなく、昭和四七年暮ごろから腰痛のために土建人夫の仕事ができなくなり、臨時に露店商の手伝いをし、妻D子の出産もあって、生活保護を受けているような状態であり、月賦で買った電気製品を他に安売りするなどして生活費や飲酒代に充てていたほどで、経済的に不安定で、貧困な暮らしをしていたことは認められる。しかしながら、被告人は、もともと貧しい家に生れ育ったため不自由には慣れていたものであって、昭和四六年一一月に最終の刑で出所し、昭和四七年一月初めころ妻D子と同棲を始めてから、職、住居等を転々としながらも、経済的に不安定で貧困な生活をさして気にすることなく、なんとか切り抜けて来たもので、本件犯行当時に従前に比して格段に窮迫の度を深めていたふしは認められない。むしろ、本件犯行当時被告人は、家計や生活費等金銭のことについてはそれ程深刻に考えないで、露店商の手伝いをする傍ら、のん気に遊び回り、本件犯行の前日も右Cと飲み歩いて、一たん自宅に戻って再度外出する時も、現金二万円を持ち出して更に飲み歩き、二人分の飲食代を支払ったりしていて、被告人には強盗の非常手段を計画してすぐ金を工面しなければならないほどの切迫した事情も気持ちもなかったものと認められる。また、本件において、被告人がA方に赴くようになったのは、たまたま右Cと飲酒中にB子の身勝手な態度を思い起こして、憤慨の気持ちを新たにするとともに、酒の勢いもあって、次第に興奮し、前後の見境もなく、ひたすら同女のことに心がとらわれてしまったためであると認められるので、そのような心理状態にあった被告人がその際同時に、覚めた気持で自分の経済状態が苦しいことや金を工面することにまで考えをめぐらし、強盗を企てたと断定するにはちゅうちょを感ぜざるをえない。なお所論は、被告人に、金に困った場合に安易に犯罪的行動によってそれを解決しようとする性向のあることがその犯罪歴等から明らかであると主張するが、被告人には窃盗、強盗等の多数の前科があるものの、他方、前述したように多年にわたって不自由な暮らしには慣れていた面があり、経済的に不安定で貧困な生活状態ながらも、これまでなんとか切り抜けて暮らして来たことを考慮すると、被告人の犯罪歴、性向から直ちに被告人が強盗の犯意を抱いて殺害行為に及んだと推断することは早計であるといわなければならない。
所論の点に関する原判決の判断は是認することができ、所論は失当である。
2 被告人と右Cとの関係について
(1) 所論は、原判決は、「被告人は、犯行に至る経緯に記載したように、右Cと女のことを話題にして興じているうちに、B子のことを思い出して興奮し、話をつけに行って同女を強姦する相談をし、それから派生して、成行きによっては金をもらえるかもしれないというような話をしているが、右Cと金に困っているとか、金を取るとかいうような具体的な話をした証跡がないことなどをかんがみると、その話は本当に金を強取することを目的としたものとは一概にいえない。」と判示しているが、本件は、右CにおいてB子を強姦できることを目当てに追従的に犯行に加担し、被告人は、右強姦に藉口して被害者から金員を奪取することを企て、ここに両名の間にA方に侵入する共謀は成立したものの、被告人の意図と右Cの目的が全く異っていて、右Cの側に特に金に困っていた等の事情があったわけではないから、金に困った者同士が強盗を共謀するのと異なり、経済的に困窮しているとか、金をとらなければならないとかの被告人の側のみに存する動機、事情が両名の間の中心的話題にならなかったとしても何ら不思議ではないばかりでなく、原判決後、改めて調査したところによれば、右Cは、被告人が「二週間前に子供が生れたりして金が欲しいのだが、いいもうけ口はないだろうか。」などと話していたことを認めており、この点からしても原判決の判断が誤りであることが明らかである、と主張する。
確かに、右Cは、スナック「サロンドジュター」で被告人と飲酒しながら、女のことを話して興じているうち、被告人からB子のことについて話しがあったので、自分が同女を強姦するなどと口にしたことはあるが、一たん被告人とA方に赴いたときには、屋敷内に入ろうとする被告人を制止して引き返させたり、再度A方に赴いたときには、塀を乗り越えた被告人に門扉の錠を外してもらって屋敷内に入ったものの、結局家屋内までは入らずにそのまま立ち去っているのであって、このような行動に徴すると、右Cは前に被告人との間で話に出たようなことをその通り実行しようという気持ちを固めていたとは認め難く、また、被告人についても、前に同人に金のことを口にしたとしても、後述するように、B子の仕打ちに対して酒の勢いもあってひどく興奮・憤慨していたこと、性格が異常なこと、屋内に侵入した後の言動に徴すると、同女方に赴いた意図・目的が同女に文句を言い、難詰することにあったとみても不自然・不合理な推論とはいえず、むしろ、その可能性の方が強いと認められるので、所論は採用することができない。なお当審において取調べた右Cの検察官に対する供述調書によれば、被告人が右Cに「二週間前に子供が生れたりして金が欲しいんだが、いいもうけ口はないだろうか。」などと話したというのであるが、それは、被告人が「サロンドジュター」でB子のことを思い起こして、右Cに話をする数時間前に、別の店でなされた話題の一つであって、直ちに本件に結びつくものとは認められない。所論の点に関する原判決の判断は是認することができ、所論は失当である。
(2) 所論は、原判決は、「罪となるべき事実等に出ている話をつけるという語は、暴力団などでよく金を取ってことを解決するという意味に使われており、被告人もかつて暴力団に属していたことがあるものではあるが、強盗の決定的な言葉ではない。」と判示しているが、右Cも暴力団員であって、被告人、右Cは岡山刑務所で受刑中親しい関係にあったのであるから、被告人が右Cに「これから話をつけに行こう。」と言ったのは、暴力又は脅迫により被害者方から金員を強取する犯意の表明以外の何ものでもなく、そのことは、本件において、深夜屈強の男二人が「堅気のしろうと」の家に押し込む計画であったこと、被告人が凶器を携帯し、本件犯行以前にも飲み屋でこれを示して脅迫していて、右Cもそれを目撃していたこと、被告人が右Cとともに犯行当夜の午後一一時過ぎころ一たんA方に赴いたのに、同人方の部屋や近所の家にも明かりがついていたので引き返し、真夜中の午前三時ころ再び家人が寝静まっているA方に侵入していること等の客観的事情からしても極めて明らかである、と主張する。
しかしながら、関係証拠によると、被告人は、昭和四七年九月ころ仕事場で人から「近くに住んでいる銀行員の奥さんがあなたに好意を寄せている。」などと言われたのを真に受け、B子に数回電話して交際を求めたところ、同女から一一〇番で警察に通報され、同年一〇月ころ、警察から連絡を受けた雇主の黒川茂平にもA方に電話をしないように注意される羽目になったため、同女は自分に好意を持ちながら、夫に責められると、ひたすら保身を図り、体面を繕おうとして卑きょうな態度をとり、手ひどい仕打ちに出たものと考えて快からず思うとともに、納得できずに憤慨し、「話をつけに行く。」と発言し、黒川からそれを制止されたことが認められるところ、その際の被告人の「話をつけに行く。」との発言が自分の言い分をB子や警察に強く訴え、被告人なりに文句を言い、いわばぬれぎぬを晴らそうという趣旨のものであって、B子から金品を強取する意思の表明でないことは、当時の状況等に徴し明らかである。本件は、それから約三か月も経過してからのことではあるが、性来、極めて自己中心的・ひとりよがりで、人に対する恨みがいつまでも心の内に潜行して残存する粘着性があり、感情の起伏も激しく、酔うと、ささいなことが気になり、日ごろ心の底に抑制されていたものが急に強く発現する傾向のある被告人が右Cと飲酒するうち、B子が警察に一一〇番して被告人のことを訴えたことを思い出して同女の仕打ちに憤慨し、右Cに「これから同女のところへ話をつけるから一緒に行かないか。」等と話したのが発端となって発生した事件であって、被告人が右Cにそのような話をした時の意図は、黒川からA方に電話しないように注意されて憤慨し、「話をつけに行く。」と言った時の気持ちと基本的に同じものであったと認められ、本件においては、話をした相手方が暴力団員である右Cであったこと、被告人のB子に対して文句を言い、難詰しようという意思が極めて執よう、強固なもので、その執ろうとした手段、態様も尋常なものではなかったことを考慮しても、被告人の「B子に話をつける。」との発言をもって、同女から金品を強取するとの犯意の表明であるとすることはできない。所論の点に関する原判決の判断は是認することができ、所論は失当である。
(3) 所論は、原判決は、「被告人、右Cは、午後一一時過ぎころ、A方から引き返した後、更に飲酒を続け、通りがかりの小林という自衛隊員を交えて雑談するなどして犯行当日の午前三時ころまで時間を過ごしており、その間に右Cと犯行の具体的方法等について話をした証跡がない。」と判示しているが、「話をつける。」という程度の発言で被告人の財物奪取の意図の表明及び両名間の打合せとしては十分であったのであり、原判決が犯行の具体的方法等について話合いのなかったことを根拠に被告人の金員強取の犯意を疑問視するのは失当である、と主張する。
しかしながら、被告人の「話をつける。」との発言が強盗の犯意を表明するものといえないことは前述のとおりであって、それが被告人の財物奪取の意図の表明及び打合せとして十分であることを前提とする所論は失当である。
3 被告人が被害者B子に近付いた状況等について
所論は、原判決は、被告人が就寝していたB子を認め、「奥さん、矢島ですよ。」などと言ったと認定して、「被告人は、既に顔や名前を知られており、しかも多額の現金があると思われるような事情もない一銀行員の家に押し入って、男であるAがいることを認識しながらそれを放置して、女であるB子の方に近付き、自分の名前を名乗ったりした。」と判示しているが、(1)被告人が自分の名前を名乗ったという事実はない、すなわち、自分の名前を名乗った旨の被告人の供述は、その場の情況、そこに至る経過にそぐわず、結局、くり小刀を腰のところに構えていたという自己に著しく不利益な事実を隠蔽し、平穏に話合いをしに行っただけであるかのように強調するための虚偽の供述であり、これに反し、被告人が無言のまま被害者らの寝室をうかがっていた旨のB子の供述は、自然であり、かつ終始一貫していて極めて信用性が高い、(2)被告人の凶暴な性格等からすれば、被告人が既に顔や名前を知られていたことは、本件において強盗の犯意の認定に何ら消長をきたすものではない、(3)原判決の「多額の現金があると思われるような事情もない一銀行員の家に押し入った。」との認定は、何ら根拠のない推断であり、むしろ銀行員の家なら金がありそうだと考える方が自然であって、原判決が(犯行に至る経緯)において判示する「相手は銀行員だから金がもらえるかもしれない。」との被告人の発言とも符合している、と主張する。
しかしながら、右の(1)についてみると、就寝しているB子に「奥さん、矢島ですよ。」と名乗った旨の被告人の供述は、被告人がA方家屋内に忍び込み、玄関の東側六畳間のふすまを開けて、就寝しているAを認めながら、同人に対しそれ以上の行動に出ずに、更にその西隣の六畳間(家屋南側の六畳間)のふすまを開けて、就寝しているB子を認め、同女に近付いた行動に照らし自然であって、殊更虚偽の事実を述べているふしはなく、その信用性に欠けるところは認められない。被告人が西隣の六畳間のふすまを開けたころまでに、くり小刀のさやを払って、これを右手に持っていたのは、深夜押し入ったA方において家人の抵抗にあうことを警戒し、それに備える意図に出たものと認められるが、そのことは、被告人が就寝しているB子に自分の名を名乗り、同女を起こすことと矛盾するものとはいえない。またB子は被告人が自分の名を名乗るのを聞かなかったと供述しているが、同女は被告人が屋内に忍び込んだときには眠っていて、途中で目をさまし被告人に気付いたのであるから、就寝中被告人の声が聞こえなかった可能性を否定し去ることではない。所論の点に関する原判決の認定は正当として是認することができる。所論は、被告人の供述は、自分の名を名乗れば、Aの方が先に聞きつけて目をさますおそれがある位置から、B子に声をかけたというものであって不自然である、と主張するが、被告人が眠っているAを認めながら、同人に対してそれ以上の行動には出ず、これを放置したまま、その隣の間のふすまを開けた経過等からすると、被告人は、Aが熟睡していると思って安心し、同人がすぐ目をさまし、飛びかかってくるとは予想しなかったものと認められるから、被告人が所論の位置からB子に声をかけたとしても、そのことが不自然であるということはできない。また所論は、原判決は、被告人が予めくり小刀を右手に持って寝室をうかがっていたか否か及び被告人が押し倒されたか否かについては、被告人の弁解を排斥して、B子の目撃供述を採用しながら、被告人が無言のまま寝室をうかがっていたか否かについては、被告人の弁解を採用してB子の目撃供述を排斥しているが、右目撃供述は、同一被害者が全く同一かつ同時に経験した事実に関するもので、その信用性についても全く差異がないと認められるのに、原判決があえてこれを分断し、一方を採用し、他方を採用しなかったのは合理的な理由がなく、明白な採証法則違反であると主張するが、就寝中のB子が被告人の声に気が付かなかったという可能性を否定できないことは前述のとおりであるから、自分の名を名乗った旨の被告人の供述を採用した原判決に所論のような採証法則の違反は認められない。次に(2)についてみると、被告人は既に顔や名前のみならず、概略住居もB子に知られており、そのことは、被告人があらかじめ逃走先等を考慮した形跡が全くないことと相まって、被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたとすることについて疑問をいだかせるものであって、右の点に関する原判決の判断は是認することができ、所論は失当である。更に(3)についてみると、A方の比較的質素な家屋の外観等からすると、所論の点に関する原判決の認定を是認できないではない。なお「相手は銀行員だから金がもらえるかもしれない。」との被告人の発言も、酔余口にした言葉にすぎないのであって、その場の状況からみても、被告人が多額の現金があると思われるからという理由でA方を狙って強盗に押し入ろうと考え、その意思を表明したものとは認め難く、所論の点に関する原判決の判断を誤りであるとすることはできない。所論は採用することができない。
4 被告人と被害者B子との問答について
所論は、原判決は、「被告人は、殺害行為後、直ちに強取行為を始めることができる状態にあったのにかかわらず、直ちに強取行為に出ることなく、その前後ころ、B子に対し、『なんで一一〇番なんかしたんだ。おれと浮気をしたがったくせに……』などと言い、同女が『そうじゃないんです。』と答え、また同女に対し『お前はほれた男に殺されて本望だろう。おれは死刑だ。とうとう子供が生れちゃったんだ。』などと言い、同女が『Eさんにも生れた。』と答えるなどの話をしている。」と判示しているが、被告人がB子に対する怨恨感から、同女と原判示のようなやりとりをしたとしても、被告人が金員強奪の意図を有していたことと何ら矛盾するものでないのみならず、被告人は、殺害行為後、直ちに「おれは矢島だ。騒いだってだめだ。おれは兄貴と一緒に来ている。兄貴もそこに来ている。」と申し向けて脅迫行為に出ているから、被告人B子との間に原判示のような問答があったことは、被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたことを否定する理由にはならない、と主張する。
しかしながら、被告人が、就寝しているB子に「奥さん、矢島ですよ。」などと名乗っただけで、その際何ら金員の要求をせず、A、B子に対し凶刃を振るった後も、直ちに金員の強取を意図していると認められるような言動に出ることなく、B子に対し、「騒いだってだめだ。おれは兄貴と一緒に来ている。」などと言って、同女が騒がないように念を押す一方で、同女と原判示のようなやりとりをしたり、「おれは話し合いに来たんだ。」と話しかけたりしただけであることは関係証拠上明らかであって、被告人の殺傷行為の前後にわたる右のような一連の言動・態度をみると、被告人としてはB子を難詰し、追及する目的で押し入ったのに、思いもかけない重大な結果を惹起してしまい、その現場の惨状を目のあたりにして動揺し、自分の行動を後悔したり、弁明したり、あるいは自嘲気味に同女をなじったりしている様子がうかがわれるのであるから、これらの状況に徴して、被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたとするについては疑問があるとした原判決の判断は是認することができ、所論は採用することができない。
5 被告人の意図に関する被害者B子の推測について
所論は、原判決は、「B子は、事件後間もないころの捜査官の取調べに対し、被告人から金を要求された際、逃走資金を要求されたのではないかと思った旨供述している。」と判示しているが、同女の右推測は具体的根拠を欠く、不確実なものであって、これを根拠に被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたことについて疑問を提起する原判決の事実認定には採証法則違反がある、というのである。
確かに、被告人から逃走資金を要求されたのではないかと思った旨のB子の供述部分は、被告人の金員使途の目的に関する限り、同女の推測ではあるが、被告人が当初金員を要求せず、殺害行為後も、前述のような言葉のやりとりをしてから初めて金員を要求するなど被告人の一連の言動・態度を目のあたりにした同女が、その場の体験に基づいてした推測であって、全く根拠がないものと断ずることはできないから、B子の推測の供述をもって、被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたとするについての疑問の一つに挙げた原判決の判断は是認することができ、原判決に所論のような採証法則違反は認められない。所論は採用することができない。
6 その余の検察官主張の根拠について
所論は、被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたとする根拠として、前記1、2について摘示した点の外に、(1)被告人が犯行を午前三時という深夜に選び、かつ被害者方や近所が寝静まるまで待って侵入していること、(2)最終的には被告人が単独で屋内に侵入していること(被告人が言うように、右Cを同道した目的が「客観的立場から見てもらう」ことにあったとすれば、これは矛盾した行動である。)、(3)被告人が最初からくり小刀を構えて被害者に近付いていること、(4)被告人は、殺害行為後の被害者両名の凄惨な姿を目前にしながら、両名に対し平然と、かつ執ように金を要求したうえ、子供まで指示し、自らも金のあり場所を探索しているが、これは被告人の金員奪取の意思がいかに強固なものであるかを物語るものであること、以上の事実を指摘する。
しかしながら、右の(1)についてみると、被告人が一たんA方に赴き、同人方の門扉が施錠されていたうえ、同人方の部屋や近所の家の明かりがついていたので引き返し、飲み歩いて、再びA方に向い、深夜の午前三時ころ、家人の寝静まっている同人方に侵入したのは、酒を飲むと物事にとらわれる性格のある被告人の話をつけようという意思が極めて執ようで、強固なものであり、その手段・態様も非常識なものであったことを示すものではあるが、そのことから直ちに被告人が事前に強盗の犯意を抱いたものとすることはできない。次に(2)についてみると、関係証拠によれば、被告人は、A方屋敷内において、右Cとの間で、被告人が屋内に侵入し、内側から玄関の錠を外して右Cを引き入れる旨を打合わせたうえ、単独で屋内に侵入したものであり、現に被告人は屋内に侵入した後、右Cを玄関から引き入れようとしたが、玄関の錠を外すことができなかったという経緯が認められるのみならず、被告人が結局単独で屋内に侵入したからといって、このことから直ちに被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたと推論することもできない。また(3)についてみると、被告人がB子の就寝していた六畳間のふすまを開けるころまでに、携帯していたくり小刀のさやを払って、これを右手に持っていたことは、前述したように、家人の抵抗にあうことを警戒し、それに備える意図に出たものと認められるのであるが、右の行動は被告人が就寝しているB子を起こして、同女に文句を言い、難詰しようという意図・目的で同女に近付いたことと必ずしも矛盾することではなく、被告人があらかじめ抜身のくり小刀を右手に持っていたことから直ちに被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたものとすることはできない。更に(4)についてみると、被告人の殺害行為後の一連の言動・態度には、前述したように、当初の意図・目的を超える結果を惹起してしまい、現場の惨状を目のあたりにして動揺し、自分の行動を後悔したり、弁明したり、あるいは自嘲気味に同女をなじったりしている様子がうかがわれるのであるから、このような状況や心情の下で被告人がB子らに金員を要求し、子供に案内させたりして金員を探しているからといって、そのことから直ちに被告人が事前に強盗の犯意を抱いて殺害行為に出たものと推断することもまた相当でないといわなければならない。
以上のとおりであって、所論の(1)ないし(4)の点を個別に検討し、更にその他所論指摘の点を総合して検討してみても、被告人が事前に強盗の犯意を抱いていたことを認めることはできない。
7 その他所論にかんがみ、原審記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決に所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
二 被害者両名に対する殺意について
所論は、要するに、原判決は、その(罪となるべき事実)二、1、2において、被告人がA、B子に対し相手が死に至るかも知れないことを認識しながら、あえて殺害行為に及んだものと認定し、被告人の確定的殺意を認定していないが、被告人が本件凶器のくり小刀の鋭利性及びその性能を熟知しながら、これを使用してAの身体枢要部である腹部に対し強烈かつ確実な攻撃を加え、倒れた同人に対しても更に背後から刺突を続けたことは明らかであり、その結果、同人をしてその場で極めて短時間のうちに絶命させたのであって、確定的殺意なくしては、かかる強烈かつ確実な所為にでることは到底考えられず、また被告人がB子に対しても同様に身体枢要部等一三箇所に強烈な刺突あるいは刺切行為を積極的かつ執ように加えたことは明らかであり、強烈な刺突行為により本件くり小刀の切先が折損したため、同女は確実な致命傷を負わなかったものの、井上外科病院に搬入された時は救命不能と診断されたほどであり、救急手当の措置がいま少し遅れておれば確実に失血死に至っていたもので、確定的殺意なくしては、このような強力で積極的かつ執ような所為にでることは到底考えられず、被告人が殺害行為の現場でB子に対し、「ほれた男に殺されて……」、「おれは死刑だ。」、「子供も殺してやる。」と発言していることをも併せ考えると、被告人が被害者両名に対し確定的殺意をもって殺害行為に及んだことは明白であり、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があると、というのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠を検討すると、被告人が被害者両名に対し、死に至るかも知れないことを認識しながら、あえて殺害行為に及んだとして、未必的殺意を認定するにとどめ、被害者両名に対する確定的殺意を認定しなかった原判決の判断は、これを正当として是認することができる。すなわち、関係証拠によると、本件において被告人が携帯して凶器として使用したくり小刀は、刃体の長さが約一二・五センチメートルの鋭利な刃物であって、被告人はその鋭利性等を熟知していたこと、被告人は、本件くり小刀を力まかせに振るってAの身体の枢要部である腹部を切り上げて、同人の上腹部右側に左右径二一センチメートル、深さ一一センチメートルに達し、肝臓、胆のう、門脈及び右肺などを損傷する重大な刺切創を負わせたほか、倒れた同人に対し背後から刺して、同人の背部右側に深さ七・五センチメートルの刺創を負わせ、同人を間もなく上腹部右側刺切創の損傷に基づく失血により死亡させたこと、また被告人は、本件くり小刀でB子に切り掛かり、逃げる同女を追い回し、負傷のため動けなくなっている同女の顔面等をところ構わず、執ように切付け(そのため本件くり小刀の切先が二度にわたり切損した。)、同女に対し左上腕背部に長さ約一〇センチメートル、深さ一三センチメートルの刺切創、右側頭部から右頬部にかけて長さ約一八センチメートルの切創、右鎖骨部に長さ約七センチメートルの切創など身体の枢要部を含む一三か所に切創を負わせ、同女が約一時間後、井上外科に搬入された時は、重篤な失血状態を呈し、救命不可能かとも推定されたほどであったこと、被告人が加害行為後に現場において、B子に対し「ほれた男に殺されて本望だろう。」、「おれは死刑だ。」、「子供も殺してやる。」と発言したこと、以上の各事実が認められ、これによると、被告人が殺意をもって被害者両名に対し前記行為に及んだことを認定するに十分であるが、更に進んで、右の殺意が確定的殺意であったか否かについて検討すると、本件は、B子に話をつける目的でA方屋内に侵入した被告人がB子に「奥さん、矢島ですよ。」などと言って、外の廊下の方からの明りが入って来るだけの薄暗い六畳の間に入り、同女に近付いたところ、目をさましたAが被告人の背後から突然飛び掛かって来たので、同人が熟睡していると思っていた被告人としては、思いがけない背後からの突然の反撃に一瞬不意をつかれた格好になって驚がく・ろうばいし、瞬発的に手にしていたくり小刀を振るって一撃を加えたものであって、その際特に同人の腹部等身体の枢要部を狙い、確実に同部位を攻撃する意思で刺切行為に出たことまでは認め難い。そして被告人はその後更に同人の背後から突刺し、同人を助けようとしてくり小刀にしがみついてきたB子に切り付け、同女を追い回し、同室から廊下を経て玄関に逃れて負傷のため動けなくなっている同女の顔面等に執ように切り付けてはいるが、これらの行為は先の第一撃に引続き、極めて短時間の内に、前後の見境もなく、ところ構わず一気になされたものであって、これまた特に身体の枢要部を狙い、確実に同部位を攻撃する意思でなされたことまでは認め難い。のみならず、その際被告人は強度のアルコールの影響下にあって理性も鈍摩しており、その行為は一種の原始反応、すなわち、外部から突然に強力な刺激が加わった場合に、刺激とそれに対する反応との間に人格の関与が極めて少なくなる激甚な情動興奮の精神状態の下での行動であったという一面も認められるので、行為そのものの外形的激烈さや発生した結果のせい惨さのみによって確定的故意があったと推断することは相当でないといわなければならない。なお被告人のB子に対する所論の指摘する各発言も、前述したように、被告人が現場の惨状を見て動揺し、いろいろ口走った際の言葉の一部であって、その際の状況からみても、また発言内容自体に徴しても、被告人がそのようなことを言ったからといってこれをもって直ちに被告人の被害者両名に対する確定的殺意認定の根拠にはなし難いので、結局、諸般の状況に照らし、被告人の被害者両名に対する殺意については未必の故意の認定にとどめた原審の判断は是認すべきものと認められ、原判決に所論のような事実誤認はないといわなければならない。論旨は理由がない。
第二弁護人、被告人の各控訴趣意中、量刑不当を除く主張について
一 事実誤認の主張について
1 被害者両名に対する殺意について
所論は、要するに、原判決は、その(罪となるべき事実)二、1、2において、被告人がA、B子に対し、相手が死に至るかも知れないことを認識しながら、あえてくり小刀を振るうなどしたとして、Aに対する殺人罪、B子に対する同未遂罪の成立を認定しているが、被告人には被害者両名に対する殺意がなかったから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。
しかしながら、被告人に被害者両名に対する未必的殺意があったとする原判決の認定を是認できることは前示のとおりである。所論は、被告人はAから飛び掛かられた瞬間、我を失い、その後の自分の行動について全く意識がなかったものであり、被告人の攻撃の力強さは、被告人の驚がくによる情動興奮の激しさ、すなわち正常な判断能力の喪失を示すものであって、その殺意を推認させるものではないと主張するが、被告人は酒に酔っていたにしても、明確な目的と意図をもってA方に押し入っていること、A、B子夫婦の抵抗に遭って、これに反発し、Aに対しては二回、B子に対しては十数回にわたり連続して執ような攻撃を加えていること、その行為自体は、その態様・方法・程度・回数等に徴し、優に人を殺害するに足る殺人の実行行為の定型を備えていること、以上の諸点に照らすと、当時被告人がひどく興奮していたにせよ、我を失い、自分の行動について全く意識がなくて右のような行為に及んだものとは到底考えられないのみならず、被告人の捜査官に対する供述調書を検討すると、被告人は凶行前後の状況や自分の言動のほか、凶行自体の主要部分についてもかなり詳しく記憶していることがうかがわれるので、このことも併せ考察すると、被告人は自分が手にしていたくり小刀による攻撃がどのような結果を生ずるかについては未必的に予見・認容していたものと認定することができるといわなければならない。なお、激情犯においては、冷静さを失った状態での犯行であるから、自分の行動や相手方の動作・四囲の状況に対する認識が一部欠落したり、記銘・記憶に欠損が生じたりすることが通常よく見受けられるところであるが、右の欠落・欠損の前後における事態については明瞭な意識があり、かつ、全体として犯罪への意思は中断することなく継続しているのであるから、心理の表層において事実関係の認識等の一部欠落・欠損の現象が見られるからといって、犯意がなかったとすることはできない筋合いであるといわなければならない。従って、仮に被告人が一瞬我を失い、自分の行動に全く意識がなかった心理状態が部分的に見られるとしても、そのために殺意がなかったとする所論は採用することができない。その他所論指摘の各点を検討し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決に所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
2 強盗罪について
所論は、要するに、原判決は、(罪となるべき事実)二、3において被告人について強盗罪が成立すると認定判示しているが、被告人は救急車を呼ぶ電話をかけに奥の部屋に行く途中で、初めて盗む気を起し、封筒を「窃取」したにすぎず、強盗罪は成立しないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠によると、被告人について強盗罪が成立するとした原判決の認定は正当として是認することができる。すなわち、被告人の殺害行為によってA、B子がそれぞれ南側の六畳間、玄関において瀕死の状態で、身動きもできずに苦悶し、また同人らの長女F子(当時一一年)、長男G(当時七年)、次男H(当時三年)らが恐怖におののき、南側の六畳間の布団の中にもぐり込んでいたところ、被告人は、くり小刀を持ったままAのところに行き、同人に「金はどこだ。」と尋ね、同人が「知らない。」と答えると、B子の傍らに戻り、同女に「金はどこにあるんだ。」と尋ね、同女が「三畳の間です。」と答えると、更に「三畳はどこだ。案内しろ。」と怒鳴りつけたので、同女が長男Gに対し「お金のあるところを教えなさい。」と指示したこと、そこで、Gが被告人を奥の三畳間に案内し、整理たんすの引き出しからママパックを取り出し、その中の千円札二枚を被告人に渡したが、被告人は、南側の六畳間付近に戻って、「こんなもんは子供の小遣いだ。二千円ぼっちじゃないか。」と怒鳴って、右千円札二枚を投げ捨てたこと、その後被告人は単独で前記三畳間に行き、整理たんすの引き出し内に茶封筒(現金等在中)を発見し、これに現金が在中しているものと思って取ったこと、以上の各事実が認められ、これらを総合すれば、被告人の右行為は、B子らが被告人の凶行により無抵抗の状態に陥っているのに乗じ、更に脅迫したうえ、現金等を強取した強盗行為として評価すべきものと認められる。所論は、被告人はB子らに金銭要求の発言を一切しておらず、被告人が右発言をした旨のB子らの供述調書は捜査官によってねつ造されたものであると主張するが、右の点に関するB子、F子、Gの各証人尋問調書、供述調書は、Gの行動等の客観的状況とも符合し、十分に信用することができるものであって、右各証拠によると、前述のとおり被告人が金銭を要求する発言をしたことは明らかである。その他所論の指摘する各点を検討し、当審における事実取調べの結果を併せ考えても、原判決に所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
3 被告人の学歴等について
(1) 所論は、原判決がその(被告人の経歴等)において、「被告人が私立国士館中学校を卒業し、国士館高等学校に進学した」と認定しているが、被告人は中学校にも満足に行っておらず、高等学校には進学していないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。
そこで、関係証拠を検討すると、被告人が私立国士館中学校を卒業したことは認められるが、その後国士館高等学校に進学したことまでは認め難く、右の点で原判決の認定には誤りがあるが、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえないから、結局論旨は理由がない。
(2) 所論は、原判決の(犯行に至る経緯)の認定には、被告人がB子に電話をした時期及び内容、被告人がスナック「サロンドジュター」において右Cに話をした内容、被告人、右Cが三日午後一一時過ぎころA方から引き返した理由の各点において誤りがあり、それらが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠によると、所論の各点に関する原判決の認定はいずれも正当として是認することができ、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決に所論のような事実誤認は認められない。論旨はいずれも理由がない。
(3) 所論は、原判決は、その(罪となるべき事実)二、1において、「被告人は、西隣りの六畳間のふすまを開けるころまでに、くり小刀のさやを払って、これを右手に持っていた。」と認定しているが、被告人は原判示の時点ではまだくり小刀を手に持っていなかったのであって、原判決の認定に添うB子の供述には信憑性がないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。
しかしながら、原判決の認定に添う「目がさめて、目がはっきりしてから、敷居の付近で、男が右手で腰のところに刃物みたいなものを持っているのを見て、のまれた感じになった。」とのB子の供述は、殊更虚偽の事実を述べているふしはなく、弁護人の反対尋問にも動揺しなかったばかりでなく、その一瞬後に同女の叫び声に呼応するように被告人の左背後から飛び掛かってきたAに対し、被告人がとっさに板き身のくり小刀を振るっている状況とも符合していて、十分信用することができるものであり、所論の点に関する原判決の認定は、これを是認することができる。所論は、被告人がA方を訪ねた目的や被告人がB子に「奥さん、今晩は。矢島です。」と声をかけた状況からして、被告人が原判示の時点でくり小刀を手にしていたのは不自然である、と主張するが、被告人は、B子を難詰して話をつけるつもりであったにせよ、深夜塀を乗り越えるなどして屋内に押し入るという夜盗まがいの行動に出ているのであるから、このような賊の侵入に対して反撃に出るかもしれない家人の抵抗行為に備えて被告人が刃物を手にしていたということは不自然なことではないのであって、被告人がB子に声をかけた状況等に照らし原判示の時点では被告人はくり小刀を手に持っていなかったと認むべきだとする所論は採用することができない。その他当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決に所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。
4 被告人の刑事責任能力について
所論は、原判決は被告人には本件犯行当時完全な刑事責任能力があったと認定しているが、被告人は、住居侵入時には心神耗弱、死傷行為時には心神喪失、金員盗取時には心神耗弱の状態にあったから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠によると、被告人が本件犯行当時に心神喪失ないし心神耗弱の状態になかったとの原判決の認定は、その(争点に対する判断)二において、詳細に理由を挙げて判示するところも含め、すべて正当として是認することができる。以下、所論にかんがみ更に検討する。
所論は、(1)原判決は、「被告人が『松の木』で飲酒した時点において、それ程強い酩酊状態ではなかった」と判示するが、被告人の酩酊状態は第三者によって正確に判断し得るものではないし、福島鑑定人、武正鑑定人も供述しているように、被告人が酔っているようにみえたか否かと被告人が死傷行為時に複雑酩酊であったかどうかは全く関係がない、(2)原判決は、「被告人は午前三時ころまではしご酒をしたが、その間の行動をかなり詳しく記憶している」と判示しているが、被告人が「複雑酩酊」の状態に陥ったのは、Aに飛び掛かられて死傷行為をした瞬時のことであるから、その前のことについて被告人の記憶が詳しいかどうかは全く関係がない、(3)原判決は、「被告人がA方に侵入し、A、B子の両名に殺害行為を加え、続いて同女らから現金を強取した間の一連の行動には、特別に異常と思われるものはなく、すべてわれわれの了解可能な行動である。」と断定しているが、福島鑑定人が被告人の傷のつけ方の異常性に着眼し、「奥さんの傷のつき方、これは非常に激しい興奮とか、情動的な興奮とか、精神運動性興奮を前提としなければ考えられない。」としていることからすると、原判示のように断定することができない、(4)原判決は、「被告人は、A方に侵入して以降の一連の行動の主要部分をかなり詳しく記憶している。」と判示しているが、被告人がAに飛び掛かられてから、電燈をつけて血の海に気づくまでの出来事について全く記憶を欠いていることは、被告人が一貫して述べているところであり、福島鑑定人も「その部分は完全に忘れられているのではないでしょうか。」と述べて、これを肯定しているから、被告人がこの点に関する記憶を欠いていることは明白であり、原判示のように断定することはできない、と主張する。しかしながら、右の(1)についてみると、被告人と右Cが昭和四八年一月三日午後九時三〇分ころから午後一〇時一〇分ころまで飲酒したスナック「サロンドジュター」の店長佐藤博、同日午後一〇時三〇分ころから午後一一時ころまで飲酒していた飲食店「松の木」の経営者飯田は、いずれも在店時の被告人がそんなに酔っている風には見えなかった旨供述しており、これによると、被告人が「松の木」において、酒に酔っていたものの、それほど強い酩酊状態でなかったとの原判決の認定は是認することができ、その数時間後に本件犯行がなされたことからすると、そのことを被告人の本件犯行当時の刑事責任能力を認める根拠の一つとした原判決の認定判断も、これを正当として是認することができる。次に(2)についてみると、被告人が一たんA方に行って、引き返し、再び翌四日午前三時前ころまではしご酒をしたが、その間の行動をかなり詳しく記憶していることは関係証拠上明らかであって、その直後に本件犯行がなされたことからすると、そのことを被告人の本件犯行当時の刑事責任能力を認める根拠の一つとした原判決の認定判断は、これを正当として是認することができる。また(3)についてみると、原判示のとおり被告人は、Aが飛び掛かってきたため、とっさにくり小刀を振るって同人の腹部を切り上げ、同人を助けようとしてくり小刀にしがみついてきたB子にところ構わず切りつけたものであって、それは極めて短時間の内になされたものと認められるところ、被告人の右殺害の行動態様は、被告人が酒に酔っていたうえ、Aに飛び掛かられて驚がく、ろうばいしたことを考慮しても、前示したようにA、B子の抵抗に反発し、執ような攻撃を加えたものであって、被告人が我を失い、自分の行動について全く意識がなくて右のような行動に及んだものとは到底考えられないのみならず、深夜危険な凶器を携えて他家に押し入った状況下での犯行であることに照らしてみても、被告人の両名に対する殺害行為は基本的には、その前後の行動と連続した行動過程のなかでは往々にして起こりやすい性質の行為であると認められるのであるから、被告人の右殺害行動を含む一連の行動に特別に異常と思われるものはなく、すべてわれわれの了解可能な行動であるとし、そのことを被告人の刑事責任能力を認める根拠の一つとした原判決の認定・判断は、これを正当として是認することができる。更に(4)についてみると、被告人の捜査官に対する供述調書を子細に検討すると、被告人は、Aに飛び掛かられて、同人及びB子に対し殺害行為に及んだ状況についてもかなり記憶しているものと認められるので、原判決が、右殺害行動を含む本件犯行の主要部分を被告人がかなり詳しく記憶していることや、その間の一連の行動には特別に異常と思われるものがないことなどに照らし、被告人の責任能力を肯認する認定・判断をしたことは、これを正当として是認することができる。その他当審における事実取調べの結果を検討しても、原判決に所論のような事実誤認は認められない。
なお所論は、原判決は、「被告人が死傷行為時に誘発された『複雑酩酊』あるいはアルコール酩酊下における原始反応の状態にあった。」旨の福島鑑定をその鑑定を命ずる前から有していた資料のみで排斥し、福島鑑定がその根拠として挙げている「奥さんの傷のつき方の異常性」を全く無視しており、原判決には右の点で自由心証の範囲を逸脱した採証法則違反、すなわち訴訟手続の法令違反があり、それが判決に影響を及ぼすことが明らかである、と主張する。しかしながら、原判決はB子に対する殺害行為を含む被告人の行動に特別に異常と思われたものはなく、了解可能な行動であることや、その他証拠上認められる諸般の状況に徴し、福島鑑定はそのまま是認できるものとは認められないとして、被告人の刑事責任能力を認定しているのであって、その判断は相当であり、所論のような採証法則違反ないし訴訟手続の法令違反は認められない。論旨はいずれも理由がない。
二 訴訟手続の法令違反の主張について
1 鑑定人武正建一作成の精神鑑定書について
所論は、原判決には、証拠能力及び証明力を欠く鑑定人武正建一作成の精神鑑定書を証拠として採用し、被告人の刑事責任能力の認定の資料とした点において、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
しかしながら、鑑定人武正建一作成の精神鑑定書は、同人が原審において鑑定人・証人として尋問を受け、その真正に作成されたものであることを供述したものであって、刑訴法三二一条四項により証拠能力があるものと認められ、その内容を子細に検討しても、証明力に欠けるところはないものと認められるから、これを採用し、他の関係証拠と総合して被告人の刑事責任能力を認めた原判決の認定・判断に所論のような訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。
2 被告人の供述調書の任意性について
所論は、要するに、(1)被告人の司法警察員に対する昭和四八年一月一〇日付供述調書は、極度に健康を害し、不眠症、じんましんに悩まされていた被告人に対し同日午後四時四〇分から午後一〇時すぎまで連続して取調べをなし、心身ともに衰弱した被告人に対し署名指印を要請したもので、被告人の任意の供述を録取し、被告人が納得のうえ任意に署名指印したものではない、(2)同じく同月一七日付供述調書は、本件が強盗殺人事件であるとの予断をいだいていた小林係長が被告人に対し鋭い追及をし、前述のように健康を害していた被告人が同日午後一時一五分から午後八時すぎまでの約七時間にわたる長時間の取調べに極度に疲労し、供述していない脅迫文言を記載された調書に署名指印させられたものであり、(3)司法警察員に対する同月二三日付供述調書、検察官に対する同月二四日付供述調書(三通)については、同月二二日から同月二四日までに極めて長時間取調べがなされ、被告人の心身の疲労の度は想像に余りあるものであったこと、及びその間の取調べ、供述調書作成等の状況、特に同月二三日小林係長は自分が作文した調書に署名指印をするよう被告人に強要し、被告人がその調書の四か所について書き直しを要求したが、一枚目を全く同じ文章に書き直しただけで、「警察は代書屋じゃない。」とはねつけ、被告人が「私の言葉で書きたいから紙を下さい。」と要求しても、これをはねつけ、被告人が便意を訴えても、「小便したかったら署名指印してから行け。」と強要したので、被告人は、ついて、「これに署名はするが、決して認めたのではないからな。」と言って、署名指印したが、そのときあまりに悔しかったので、後で識別しる得ように「矢島一夫」の島の字をくずし字にしたほどであったこと、同月二四日付供述調書(三通)もあらかじめ小柳検事が想定した情景を口授浄書させた作文であって、被告人は反論を試みたが、相手にされず、前日署名指印した経緯もあって、あきらめの心境から、求められるままに署名指印したものであること等からすると、右両日付各供述調書は、「被告人の供述を録取した書面」にあたらないから証拠能力がなく、仮にそれにあたるとしても、その供述は任意になされたものではないから証拠能力がなく、結局右の(1)ないし(3)の証拠能力のない被告人の各供述調書を証拠として採用した原判決には訴訟手続の法令違反があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで検討するに、まず右の(1)についてみると、関係証拠によれば、被告人は、昭和四八年一月四日逮捕され、同月六日から勾留されて、そのころじんましんにかかっていたが、週一回留置場に来診していた医師の診察を受けるうち快方に向い、またよく眠れないとか下痢気味であるとか訴えていたが、これらは軽度のものであって、同月一〇日午後〇時四〇分出房して、司法警察員警部補小林力の取調べを受けた後、午後一時五五分帰房し、次いで同日午後四時四〇分出房して同様取調べを受け、同日付供述調書に署名指印をして午後一〇時五分帰房したことが認められるが、被告人の心身が小林警部補の右取調べに耐えることができない状態であったものとは認められないから、被告人の同日付供述調書について、その供述、署名指印に疑いがあるということはできない。次に(2)についてみると、被告人は同月一七日午前九時〇五分出房して、小林警部補の取調べを受けた後、午前一一時五五分帰房し、次いで同日午後一時一五分出房して同様取調べを受けた後、同日付供述調書に署名指印をし、午後八時一二分帰房していることが認められるが、同日の取調べにおいて、小林警部補が予断をいだいて、被告人の供述していない脅迫文言を供述調書に記載したとの証跡はなく、また前日までの取調べ時間等を加味考慮しても、被告人の心身が右取調べに耐えられないほど疲労していたとは認められないから、被告人の同月一七日付供述調書について、その供述、署名指印の任意性に疑いがあるということはできない。また(3)についてみると、被告人は、同月二二日午前七時四七分出房して小柳検事の取調べを受けた後、午後帰房し、同日午後七時二七分出房して同様取調べを受けて午後一〇時五八分帰房し、同月二三日は午前九時四〇分出房して、小柳検事の取調べを受けた後、午前一一時一五分帰房し、同日午後一時一五分出房して小林警部補、小柳検事の各取調べを受けた後午後一〇時一〇分帰房し、同月二四日は午前八時一〇分帰房して、小柳検事の取調べを受けた後午後八時一五分帰房しており、同月二二日から同月二四日にかけて長時間にわたり小林警部補、小柳検事の取調べを受けたことが認められるが右の取調べ時間等を考慮してみても、小林警部補の同月二三日の取調べ、小柳検事の同月二四日の取調べにおいて、被告人の心身の疲労が右取調べに耐えられないほどの状態であったことは認められない。次に取調べの具体的状況についてみると、同月二三日午後になされた小林警部補の取調べにおいて、同人が被告人の供述を録取し、被告人に対し同日付供述調書に署名指印するよう求めたところ、被告人から一部書き直しの要求があったので、再度取調べて同所を書き直して、読み聞けをした後、被告人に署名指印を求め、被告人がこれに応じて署名指印をしたことが認められ、小林警部補が「警察は代書屋じゃない。」などと言って。被告人の書き直しの要求をはねつけたとか、被告人が便意を訴えたのに対し、「小便したかったら署名指印してから行け。」と発言したことは認めることができない。なお被告人が右取調中に「自分で書きたいので紙を下さい。」という趣旨の要求をし、小林警部補がこれをいれなかったことは認められるが、そのことをもって直ちに、被告人の小林警部補に対する供述がその任意性に欠けるものとすることはできない。また同日付供述調書の「矢島一夫」の署名中「島」の文字は崩し字となっているが、前記のような取調べの状況等を考慮すると、そのことから直ちに被告人の署名が任意性に欠けるものであるとすることはできない。更に同月二四日になされた小柳検事の取調べの状況についてみると、小柳検事は、同日まで被告人を取調べた都度、かなり詳細なメモを作成していたので、同日にはそれを参酌し、要点については被告人を取調べて再確認しながら、口授して同日付供述調書三通を浄書させ、読み聞けをし、被告人がこれに署名指印したことが認められる。以上のとおりであって、被告人の同月二三日、同月二四日付各供述調書がいずれも被告人の供述を録取したものであることは明らかであり、その供述、署名指印の任意性を疑わせるような証跡は認められない。したがって、被告人の同月一〇日、同月一七日、同月二三日、同月二四日付各供述調書を採用した原判決に所論のような訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。
3 B子の供述について
所論は、要するに、B子の「被告人が最初から刃物を構えていた。」、「被告人が金を出せと言った。」との供述は、同女の他の供述部分等からして、被告人を極悪人に仕立てようとしたうその供述であることが明らかであり、同女の右供述を措信し、これと相対立する被告人の供述を退けた原判決には採証法則違反、すなわち訴訟手続の法令違反があり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
しかしながら、右の各点に関するB子の供述を信用することができることは前述のとおりであって、これを措信して、被告人の供述を退けた原判決に所論のような採証法則違反とか、訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。
4 証拠調請求の却下について
所論は、要するに、原審第五二回公判において被告人及び弁護人が取調請求をした証拠は、いずれも重要なものであって、なかんずく「被告人とB子との間に肉体関係のあったことを立証するための証拠」は、本件の最大の争点というべき「被告人がA家を訪問した目的」に関連する、全く新たな事実についての証拠であって、それまで取調べた証拠と一切重複しない、不可欠なものであったから、原審が右の証拠調請求をすべて却下したのは、訴訟手続の法令違反であり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで検討するに、原審第五二回公判期日(昭和五三年一〇月二日)において、被告人、弁護人はそれぞれ証拠調請求をしたが、そのうち先ず被告人の証人B子、同鳥越溥の取調請求(証拠調申請リスト〔21〕、〔25〕項)、弁護人の証人B子、同福島章、同鳥越溥、被告人の取調請求(昭和五三年一〇月二日付証拠調請求書五項)についてみると、その立証趣旨に徴し、それらが主として、検察官の「被告人には本件の当初から強盗の目的があった」との立証に対する反証として、被告人とB子の間に肉体関係があり、ひいては被告人は右の件で話をする目的でだけA家を訪問したことを立証しようとしたものであることは明らかである。しかるに原判決は結局被告人に当初から強盗の犯意があったことを認定しなかったのであるから、原審としては、右各証拠を取調べる必要性がなかったものといわなければならない。また被告人、弁護人のその余の証拠調請求も既に取調べられていた証拠と重複するなど取調べの必要性がなかったものと認められる。従って、昭和五三年一〇月一七日原審が被告人、弁護人の右証拠調請求について、その必要性がないとして全部却下したのは相当であって、原審の右措置に所論のような訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。
5 原審の国選弁護人に対する措置について
所論は、原審において、被告人は当初国選弁護人の弁護に甘んじていたが、昭和五三年一月二四日弁護人吉野徹、同佐藤公輝を選任したので、従前の国選弁護人は当然弁護人の地位を失い、少なくとも原審としては旧国選弁護人の辞任を認め、あるいはその解任申立に応ずべきであったのに、原審は旧国選弁護人の辞任を認めず、その解任申立にも応じないで、被告人の意に反して旧国選弁護人に弁護活動を強要し、そのため私選弁護人は、国選弁護人との折衝等に追われ、証拠申請の機会を奪われて、辞任のやむなきに至ったのであるから、原審の右措置は訴訟手続の法令に違反し、それが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで検討するに、国選弁護人が選任され、その後に私選弁護人が選任されて、国選弁護人から辞任、解任の申立があった場合でも、国選弁護人は、当然にその地位を失うものではなく、裁判所又は裁判長が申立の正当な理由があると認めて解任しない限り、弁護人としてその職責を果たさなければならないと解すべきところ、原審においては、昭和四八年二月一二日国選弁護人鳥越溥が選任され、その後後記のとおり私選弁護人が選任され、国選弁護人から辞任、解任の申立があったが、同弁護人は解任されなかったのであるから、同弁護人は依然としてその地位にあったものといわなければならない。また同弁護人は右のように選任されてから第四六回公判期日(昭和五二年一二月一二日)までの長期にわたり被告人のために活発な弁護活動に当たっていたこと、同公判期日において、検察官、弁護人双方の立証は一応終了し、検察官の論告求刑もなされて、次回期日以降に弁護人、被告人による各意見陳述が予定されていたこと、昭和五三年一月二四日に至り突然被告人によって弁護人吉野徹、同佐藤公輝が選任されたが、結局同年六月一二日に同弁護人らが辞任届をしたこと、その他本件事案の重大性、複雑性等を考慮すると、原審が被告人によって私選弁護人が選任された後も国選弁護人を解任せず、むしろ国選弁護人にも被告人の弁護人の一員として弁護活動を継続させようとしたのは、被告人の利益にこそなれ、不利益になるとは考えられず、被告人の弁護人選任権に不当に介入したものとはいえないから、原審の右措置に所論のような訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。
6 原審第五〇回、第五一回公判の開廷について
所論は、要するに、原審が第五〇回、第五一回公判の開廷を弁護人の出頭がないまま強行したのは、刑訴法二八九条一項、二項、憲法三一条に違反し、右の訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。
そこで検討するに、本件は必要的弁護事件ではあるが、原審における審理の経過をみてみると、前記のとおり弁護人吉野徹、同佐藤公輝の弁護人辞任届が昭和五三年六月二二日になされ、その辞任の理由は、原審の証拠調請求却下決定、裁判長の訴訟指揮に対する不服であったこと、同日、原審裁判所から国選弁護人鳥越溥に「私選弁護人から辞任届が提出されたので、明一三日午前一〇時の公判期日に必ず出廷し、弁論されたい。」と連絡がなされたが、同弁護人からは「国選弁護人の地位にないものと考えるので、明日の公判に出廷するつもりはない。」との見解が示されたこと、第五〇回公判期日(同月一三日)に際し、被告人は最終意見の陳述を求める訴訟指揮等に抗議するとして出廷を拒否し、弁護人も全員出頭しなかったが、原審は、被告人については刑訴法二八六条の二を適用し、弁護人については私選弁護人の辞任届は当日の公判に限り効力を生じないものとし、国選弁護人ともども不出頭の理由がないので同法三四一条の規定を類推するとして、開廷し、裁判長は、「本日は刑訴法二九三条二項による意見陳述の予定であるので、その機会を与えたものとする。なお次回公判期日に弁護人の意見陳述を行うものとして続行する。」と宣して開廷したこと、同月二一日原審裁判官三名と検察官、国選弁護人鳥越溥との間でなされた打合せにおいて、同弁護人は、「去る六月一二日被告人と面会した際被告人から私選弁護人となって弁護してほしい旨の希望が出され、私としても現在国選弁護人の地位にないものと考えている。現段階では私選弁護人としてでなければ弁護活動はできない。私が私選弁護人となった場合は被告人、弁護人の証拠調請求の機会を与えていただきたい。」等の発言があり、これに対し裁判長から「これまでの経過からみて鳥越弁護人が私選弁護人となった場合に、さらに私選弁護人の辞任、解任の問題が生ずるおそれがあり、国選弁護人は解任しない。次回公判期日に出廷し、刑訴法二九三条二項による意見陳述をされたい。」との審理方針が示されたこと、第五一回公判期日(同月二六日)に際し、被告人は前同様出廷を拒否し、国選弁護人も出頭しなかったが、原審は刑訴法二八六条の二及び三四一条の規定を類推して開廷し、裁判長は「二九三条二項による弁護人の弁論の機会を与えたものとし、なお当裁判所も本件事案が重大であることから弁護人の弁論及び被告人の最終陳述を聞いたうえ、結審したいと考えるので、再度の弁論期日を与えたいと考える。」と宣して閉廷したこと、前記のとおり第五二回公判期日(同年一〇月二日)に被告人、弁護人から証拠調請求がなされ、同月二九日原審がこれを全部却下する決定をし、第五三回公判期日(同月三〇日)に弁護人の最終意見の陳述がなされ、第五四回公判期日(同年一二月五日)に被告人の最終意見の陳述がなされたことが認められる。このような原審における審理経過からすると、弁護人が第五〇回、第五一回の公判期日に出頭しなかったのは、ひっきょう、原審の審理方針等に抗議して、右各公判期日に予定されていた弁護人の意見陳述を阻止する目的で出廷を拒否した被告人の方針に沿い、その同意に基づくものであると認められるから、原審が右各公判期日を開廷し、予定されていた弁護人の意見陳述の機会を与えたものとしたうえ、更に次回期日以降に弁護人、被告人の最終意見の陳述を行わせようとしたのは、刑訴法三四一条を類推し、適法なものといわなければならない。したがって、原審の右措置に所論のような刑訴法二八九条一、二項違反のかどはなく、同条項違反があることを前提とする憲法三一条違反の所論は、その前提を欠いているものといわなければならない。論旨は理由がない。
三 被告人の控訴趣意中その余の主張について
所論にかんがみ、原審記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌しても、原判決に所論のようなかしは認められず、論旨は理由がない。
第三検察官の控訴趣意中の量刑不当の主張、及び弁護人、被告人の各控訴趣意中の量刑不当の主張について
被告人を無期懲役に処した原判決の量刑について、検察官は、軽きに過ぎて被告人に対しては極刑以外には考えられないと主張し、弁護人、被告人は、重きに過ぎて不当である、と主張する。
そこで、《証拠省略》により検討するに、本件の事実関係は、原判決の認定判示するとおりであって、昭和四八年一月三日、被告人が世田谷区のスナックで、知人の右Cと女のことを話題にして興じているうち、昭和四七年九月ころ人夫として同区内で建築解体工事に従事していた際、工事依頼者の娘であるE子から「近くの日本銀行の社宅にいる銀行員の奥さんで、あんたのことを好きだと言っている人がいますよ。きれいな奥さんですよ……。電話でもしてみたら……。」などと言われ、同年一〇月初めころ同区内の日本銀行集団行舎に住むA(当時三九年)の妻B子(当時三六年)に数回交際を求める電話をしたところ、同女から一一〇番で警察に通報され、雇主からも注意される結果となったことについて納得がいかず、同女が自分に好意を持っていながら、いざとなると交際を拒み、警察に通報するなど卑きょうな態度をとったと考え、同女の態度に憤慨したことを思い起して興奮し、そのことを右Cに話した後、二人でA方に向い、
一 右Cと共謀のうえ、前記のようにB子に話をつける目的で翌四日午前三時ころ、二人ともA方の屋敷内に入り、次いで被告人が腰高窓から家屋内に忍び込み、もって故なく人の住居に侵入し、
二 引続き、右Cを玄関から引き入れようとしたが、それができなかったため、被告人単独で、
1 玄関の東側六畳間の様子をうかがったところ、Aが一人で就寝していたので、その西隣の六畳間のふすまを開け、長女F子(当時一一年)ら三人の子供と一緒に就寝していたB子の姿を認め、「奥さん、矢島ですよ。」などと言い、同女に近付いたところ、同女がびっくりして叫び声を上げ、これに呼応するようにAが起き出してきて被告人の左背後から飛び掛かってきたため、被告人はとっさに、同人が死に至るかも知れないことを認識しながら、前記くり小刀を振るって同人の腹部を切り上げ、間もなくその場において、同人を上腹部右側刺切創による肝臓などの損傷に基づく失血により死亡させて殺害した。
2 倒れた同人を助けようとしてくり小刀にしがみ付いてきたB子が死に至るかも知れないことを認識しながら、前記くり小刀で同女に切り掛かり、逃げる同女を追い回し、負傷のため動けなくなっている同女の顔面等をところ構わず切り付け、よって同女に対し、全治する見込みの立たない左上腕背側部刺切創の外、一二か所にわたる切創を負わせたが、殺害するには至らなかった。
3 同女らが被告人の殺害行為により抵抗できない状態に陥っているのに乗じて金員を強取しようと決意し、同女らに対し、更に脅迫したうえ、現金六〇〇〇円以上外一点を強取した
という事案である。
このように、被告人は、三か月も前のさ細なことを根にもって、正月の深夜、安眠中の被害者方に押し入り、くり小刀を振るって、A、B子に対し切りつけたうえ、Aが内臓を露出させて苦悶し、B子も全身血まみれになり、子供らに別れの言葉を述べているのを耳にし、また室内や玄関は被害者らの血しぶきが飛び散り、赤くそまっている凄惨な情景を目の前にしながら、金員を強取し、被告人の蛮行により、Aはその場で死亡し、B子は全治の見込みのない重傷を負うに至り、また年端もいかない同人らの子供に強烈な衝撃を与えたもので、その所為は、原判決も説示するように、冷酷、無慈悲、残虐、非道の極みといわなければならない。Aは、本件当時日本銀行本店考査局代理級としてその将来を嘱望され、幸福な家庭生活を営んでいたのに、被告人の本件犯行により非業の死を遂げたもので、その無念さは言うに及ばず、またB子も夫を奪われたうえ、自らも瀕死の重傷を負わされて、その後遺症に悩まされており、同女及び遺族らの被害感情は筆舌に尽くし難いものがあり、B子が被告人を極刑に処しても足りないと訴える心情も十分理解することができる。
ところで、本件犯行に至る経緯・経過や犯行前後の状況全体を通じて見られる被告人の性格について検討してみるに、被告人には物事に対して過大な期待をいだいて現実認知の混乱を来たし、裏切られたとの被害感情を強める傾向があることは否めないところであり、また自分の独自の考えに固執し理屈だけを追って行き、障害に遭うと激発する自己中心的で、爆発性の性向をも有していると考えられるのであるが、被告人が昭和三二年六月中等小年院送致、昭和三三年一一月特別少年院送致の各処分を受け、昭和三五年七月窃盗、恐喝、逃走の罪により懲役一年六月以上三年以下の不定期刑に、昭和三八年六月窃盗罪により懲役八月に、昭和三九年七月同罪により懲役一〇月に、昭和四〇年一〇月傷害、公務執行妨害の罪により懲役二年に、昭和四三年八月窃盗、住居侵入、強盗の罪により懲役三年六月にそれぞれ処せられ、昭和四六年一一月最終の刑で満期出所し、昭和三二年六月から本件犯行時まで通算して約一一年一〇月の長きにわたり少年院、刑務所に収容されて、前刑による出所後約一年余りで本件犯行に及んでいることをも考慮すると、被告人の今後の更生及び改善には、被告人本人の格段の自覚と努力並びに適切な処遇がない限り、大きな困難が伴うものといわざるを得ない。
その他被告人から被害者側に対し具体的慰謝の方途が何ら講じられていないこと等をも併せ考えると、被告人の刑責は極めて重く、被告人に対しては極刑をもって臨む以外考えられないとの検察官の論旨も首肯できないわけではない。
しかしながら、更に検討すると、本件において、被告人が本件犯行に及んだのは、酒に酔った勢いで、たまたまB子のことを思い起こして興奮し、急に思い立って同女方に押しかけ本件犯行を犯すに至ったという、いわば偶発性の側面があることも否定できないところであり、そのことは、被告人の本件犯行の凶暴性、危険性を何ら減殺するものではないにしても、被告人の行動統御等の能力が低下していた際の非計画的犯罪という点では、なお量刑上被告人のために考慮しなければならない情状の一つであるといわなければならない。また被告人は、B子に近付いた時いきなりAに左背後から飛び掛かられるという反撃を受けたのであるが、Aの右の行動は一家の主人としては当然のことであり、被告人としても、本来予期してしかるべきことではあるが、同人が熟睡していると思っていた被告人としては、当時酒に酔って気持ちも大胆になっていたこともあって、突然の反撃を受けるとは予想せず、若干安心していたため、思いがけない背後からの反撃に一瞬不意をつかれた格好になり、驚がく・ろうばいし、瞬発的に手にしていた刃物を振るって凶行に及んだものと認められるのであるから、その意味においては、本件は突発的な犯行という一面をもっていることも否定できないところである。そして被害者両名に対する殺意も未必的なものにとどまっていたと認めざるをえないことも前述したとおりである。
ところで、被告人の本件に対する態度は、原審及び当審を通じて、かなりの変遷が見られる。すなわち、被告人は原審段階においては、犯罪は下層民や差別を作り出す資本主義社会の矛盾の現れであり、自分が肉体労働者として差別されたことに納得がいかなかったため、話し合いたいという衝動に駆られたのが今回の事件の発端となった、と述べ、社会的不正や圧迫を糾弾することのみに急であったが(弁護人は、このような被告人の思想をもって重く罰している原判決は、思想及び良心の自由を保障した憲法をふみにじるものであると主張するが、原判決が被告人の思想そのものを量刑の事情にしているのでないことは判文上明らかであるから、原判決に所論のような憲法違反のかしは認められない。)、当審段階に至ってから、犯罪を社会や環境のせいにするだけでは問題は何ら解決しないことに思いを深め、「相手の立場を考えないで家に行ったのは自己中心的であった。結果として刺したり、切ったりして人を傷つけたことには一片の道理もなく、後悔している。自分の人間的弱さを克服し、精神的りょ力を養いたい。」と内省を深め、被告人なりに謝罪し、拘置所内での未決勾留生活においても真しな反省と精進の毎日を送っていることがうかがわれ、このような被告人の自覚と努力は将来の更生と改善への端緒ともなり得るものとして量刑上考慮すべき事柄であると思われる
以上の諸点その他証拠上認められる本件の一切の事情を総合勘案すると、被告人を無期懲役に処した原判決の量刑は相当であって、これが重きに過ぎて不当であるとも、また、軽きに過ぎて不当であるとも認められない。なお、弁護人は、本件は、かつて被告人と一回性交類似の行為をしたことのあるB子が開き直って、一一〇番の通報をしたのが発端であると主張するが、両者の間に所論のような一種の肉体的接触があったことは証拠上明認することができないのみならず、仮に両者の間に所論のような関係があったとしても、そのことを理由の一つとして、深夜凶器を携えて他人の家に押し入るなどという無法な行動が許されるものでもなく、また、当夜犯された犯罪の重大性にかんがみると、同女とのそれまでの行き掛かりを理由に被告人の刑責が特に軽減される筋合いでもないのであるから、所論の主張する事情は前示量刑に関する結論を左右するものではないといわなければならない。
以上のとおりであって、論旨はいずれも理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用してこれを全部被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小松正富 裁判官 林修 村田達生)